BLOG

2024.02.15

【施設】横浜ベイコート倶楽部

第三章 安全な航行を祈る

僕が生まれるちょっと前まで横浜にもチンチン電車が走っていた。その事を全く知らずにいたが昨晩見たアニメーションがその事実を僕に教えてくれた。
僕はその時代を知らないけど、市電保存館で見た映像は僕がよく知る景色の中をチンチン電車が走り、僕の知らない光景を映り出していた。

僕は仕事柄色々な場所に行く機会があるのだが、チンチン電車を見るといつも乗ってみたくなる。それは何故か電車より楽しい所へ連れて行ってくれる気がするからである。

そのために世田谷区や台東区に行きチンチン電車を見ると異様に興奮する。何だか僕にはチンチン電車がその日の気分で好きな場所に連れて行ってくれる魔法の乗り物に見えるからである。そのチンチン電車が昔、横浜の街を走っていたのである。
そのチンチン電車も時代の流れとと共に姿を消し、人々の記憶から消されていくのはひょっとするとリゾートニーズが無くなった人がエクシブの事を忘れてしまうのと同じ事なのかもしれない。

昔はとても楽しい場所であったかもしれないが、人によってはその楽しい思い出も辛い思い出となる場合もある。と言う事であるが、エクシブホテルは僕にとってのチンチン電車である。

戦後、僕らは高度経済成長を迎え、東京オリンピックを開催し世界でも有数の経済大国になったのであるが、その出来事はそんな時代のお話である。
市電博物館を離れ山手の住宅街から元町に抜ける帰路の途中、偶然メルと会った。僕は彼女を自転車の後部座席に乗せすごいスピードで谷戸坂を降る。
二人を乗せた自転車はジェットコースターのようなスピードで走る。山手の住宅街から元町の商店街へはわずか数分で着き、僕は彼女を精肉店の前で降ろした。
僕は購入したコロッケを彼女に渡し、そこで別れた。それが僕が見た彼女の最後の姿であった。
港の見える丘公園では、今でも彼女の代わりにUとWの国際信号旗が掲げられている。安全な航行を祈る。と言う意味である。どれだけの船乗りにこの信号旗が伝わっているかわからないが、帰らぬ人を彼女はどこかの街で今でも待っているのかもしれない。
元町、関内、みなとみらい、今日も横浜ベイコート倶楽部の前を通過して帰路に着くのです。

参考文献:スタジオジブリ「コクリコ坂から」
2011高橋千鶴:佐山哲郎:Studio Ghibli:GNDHDDT(こちらの画像の著作権はスタジオジブリに帰属するものとなります)

tags:
記事一覧

カテゴリー

タグ


過去の記事

2024年

2023年

2022年

2021年

2020年

2019年

2018年

2017年


先頭
エクシブの購入売却はエクシブ専門仲介業者クラベールにお任せください
クラベール copyright© クラベール all right reserved.