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2022.08.18

【施設】リゾーピア熱海

リゾーピア熱海 鎌倉殿とクラベール

時は平安末期の治承4年、現在の伊豆の国市に生を受けた江間小四郎クラベールは、この湯河原の山奥で短い生涯を迎えようとしていたのです。
何故に、現在の伊豆の国市に生まれた江間小四郎クラベールがこの湯河原の山奥で短い生涯を迎えよとしていたのかは、元はと言えばこの男の口車に乗ったのが誤りであったのでしょう。

この男とは、後に鎌倉殿と呼ばれる男の事でとにかく口が建つ男。この男の口車に乗ってしまった事により、湯河原の山中の洞窟に身を隠さなければならない。という事態になったのですが、ここで鎌倉殿の13人をまったく見ていないという人にもわかるように、何故に江間(現在の伊豆の国市)に生を受けた江間小四郎クラベールがこの湯河原の山中の洞窟にいるのかを振り返りたいと思います。

そもそも、この口達者な男は、私の爺様の伊東祐親に罪人として囚われていた男で、現在の人には源頼朝として知られている男になります。

伊豆の東側は爺様である伊東家が収め、伊豆の西側を父である北条時政が収めているという事になるのですが、実際は父である北条時政と伊東祐親は主従関係になり、我らは伊東家の配下という事になるのかと思います。
現在、伊東祐親の屋敷跡は伊東市役所となっており、高台から望む眺望は伊東市全域を望めるようになっていました。後に北条義時と呼ばれる事になる江間小四郎クラベールはまだこの頃は、平穏に暮らしていたのです。

そんな平穏な日々が続いていたとある日、源頼朝が爺様である伊東祐親の娘のお腹を大きくさせた事により、突如として激動の日々が始まるのです。

源頼朝が罪人でありながら爺様の娘との間に子供を作り、それを知った爺様の逆鱗に触れ、爺様は源頼朝を殺害しようとするのですが、この男は父である北条時政をうまく丸め込み、これに乗じて挙兵するのでありました。

ただ、ここからが大誤算であったのです。挙兵したのは良いのですが集まった兵は300人。それに対して爺様の兵は3000人。勝てる相手ではなかったのです。
予想通り石橋山の戦いで敗れる訳ですが、ひょっとすると首都圏にお住まいの方は、エクシブ初島クラブに行くとき、エクシブ湯河原離宮に行くとき、エクシブ伊豆に行くとき、リゾーピア熱海に行くとき、小田原厚木道路と西湘バイパスが交差する料金所が石橋という料金所である事にお気づきの方もいるかもしれません。
もう伊豆の国からこの石橋まで約50キロ。甲冑を着て、道なき道を歩いてもうヘトヘトな上に負け戦という事になります。
電車でこれらのエクシブ行かれている方は知らず知らずの内に、源頼朝の挙兵の地を東海道線や新幹線で通過しているという事になるのですが、ここからが、敗戦に次ぐ、敗戦で仲間たちはどこへと行ったのやら。

とにかくこの石橋山から逃れたのです。

本日からスタートするクラベールブログのリゾーピア熱海編は一部創作が含まれます。又、一部史実と異なる箇所もあるのでご了承下さい。

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